【プロローグ】働くために生きるのは嫌:生き方を最適化しよう

プロローグ


人生やり直せるとしたら、あなたはどうしますか?


わたしは、ふと、自分に問いかけることがあります。


でも、その答えは、きまって同じです。「絶対にやり直したくない


なぜかって、あのつまらない学校生活を再び12年間も味わうなんて、まっぴらごめんだからです。


これまで30年間生きてきた中で、「あれ、なんかおかしくない?」と思うことがありました。


しかも、それは日常の些細なことではなくて、生活の根幹に関わる問題です。


たとえば、働き者の日本人は、「働くために生きているのか」「生きるために働いているのか」、その答えを見失いがちです。


一体どうして、そんなことになってしまうのでしょうか。


「生き方最適化」を考える当ブログのプロローグとして、ちょっと考えてみたいと思います。

学校が与えてくれるもの


わたしは、小学校から中学校、高校までの学校生活を振り返ると、なんだかもったいなかった気がします。


学校を嫌いになるほどの特別なエピソードはありませんが、一方で、「何か得たものはあったかなぁ」と疑問に思うんです。


勉強はそこそこできましたけど、かといって、知的好奇心をくすぐるような授業ではなかったですし。生徒会活動とか学園祭とかも、アホらしくて適当にやり過ごしてました。


今、30歳になりましたが、幼稚園・保育園も合わせたら、トータルで15年間です。


年齢も地域も同質の集団がこんなに長い期間を共に過ごすことってないですよね。なんだかその時点でナンセンスな気がします。


本来的には「生きるために働く」はずなのに「働くために生きる」人がこんなにも多いのは、この学校教育に要因があると思います。


つまり、学校では「自分の頭で考える」ということをしない(させない)から。


むしろ、重視されるのは次のようなことです。

  • スケジュール通りに動くこと
  • ルールをきちんと守ること
  • 集団行動を取れること


結局、学校って、社会に貢献する人材の養成機関にすぎないんですよね。

誰も救われない今の社会


優等生」は社会に出て活躍します。けれど結局、ボロ雑巾のようになるまで使い倒されます。


仕事っていうものは、できる人のところに自然と集まってくるものです 。


それでも、能力の高い人はなんとかこなしてしまうので、さらに高い要求が課されます。


ギリギリ壊れない限界のところまで酷使されますが、不幸にも壊れてしまうこともあります。


劣等生」は社会に適合できずに、袋小路に追い込まれます。


得意なことはあっても、朝起きれないから、集団行動が苦手だから、という理由のせいで、評価の対象にならないんです。


どうにもならないことをどうにかしようと、 自らを 徹底的に追い込んだ末、最終的にはあらゆる気力を失います。

漫然と生きている限り


自分は、今の生活に満足しているか


一度、自分に問い掛けてみましょう。


みんな就職したから自分も就職した/みんな我慢しているから自分も満員列車に耐えている/みんなも帰れないんだから自分も残業しなければならない


本当にそれでいいんでしょうか?


今の日本は、多くの人にとって、生きづらい社会です。しかも残念なことに、誰かに頼っていたらいつまでも状況は好転しません。


あなたが今置かれている状況に不満があるのなら、自分から一歩を踏み出すしかありません。

生き方を「最適化」する


今の職場に不満があるなら、転職すればいいんです。通勤に不満があるなら、リモートワークだってできます。会社から独立して、フリーランスで生きる道だってあります。


誰かが示したレールの上を歩くのは、簡単なように見えて、実は一番しんどかったりします。


このブログのコンセプトは、「生き方を最適化する」です。 その最適解を見つけることが、何よりあなたを楽にすると思います。


そのお手伝いができるように、よりよい生き方・働き方についてのヒントを、このブログにつづっていこうと思います。

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